『令和のダラさん』薫とは?人物像と物語での注目ポイントを解説

巨大な半人半蛇のダラさんと金髪碧眼の薫が忌み地で向き合いながら親しげに会話しているイメージ SF・ファンタジー・アクション
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『令和のダラさん』の三十木谷薫は、金髪碧眼の小学5年生男子。活発な性格と霊感を持ち、怪異と日常をつなぐ重要人物だ。

見た目はおとなしそうなのに大胆で、祟り神のダラさんにも遠慮がない。ただし本物の危険には慎重で、この絶妙な距離感こそ薫というキャラクターの面白さになっている。

『令和のダラさん』薫とは?年齢・性別・家族・声優を整理

三十木谷薫(みそぎや・かおる)は、ともつか治臣による漫画『令和のダラさん』の主要人物。屋跨斑(ヤマタギマダラ)を祀る山の山守を務める三十木谷家の長男で、地元の小学校へ通う小学5年生の男子だ。

まず、検索で知りたい基本情報をまとめるとこうなる。

  • 名前:三十木谷薫(みそぎや・かおる)
  • 性別:男子
  • 学年:小学5年生
  • 家族:姉は中学2年生の三十木谷日向
  • 外見:金髪碧眼で、一見するとおとなしそうな美しい容姿
  • 性格:実際にはかなり活発
  • 特徴:霊的なものを察知する力、意外な怪力、高い画力
  • TVアニメ版CV:寺澤百花
  • 公式ボイスコミック版CV:寿美菜子

TVアニメ公式サイトでも、薫は三十木谷家の長男、小学5年生と紹介されている。さらに「普段から女性ものを着ている」「金髪碧眼」「一見おとなしそうだが実は活発」「画力が高い」という特徴が明記されている。

つまり薫は、外見から受ける第一印象と実際の行動がかなり違うキャラクターなんだ。

姉の三十木谷日向は中学2年生。日向も霊感が非常に強く、姉弟そろって普通の子供とは少し違った形で怪異の世界と接することになる。

そして二人が出会うのが、山の忌み地にいる祟り神・屋跨斑だ。

半人半蛇の身体と6本の腕を持つ巨大な怪異で、見た目だけなら子供が泣いて逃げても不思議ではない。

ところが日向と薫は、この怪異を親しみを込めて「ダラさん」と呼ぶようになる。

TVアニメ公式のイントロダクションでも、山奥の忌み地へ踏み込んだ日向と薫が屋跨斑と遭遇しながら、怪異を恐れるどころかあっさり懐いてしまうことが作品の出発点として示されている。

ここが薫を理解する最初の鍵だ。

薫は「怪異に遭遇して恐怖する子供」ではない。

かといって、「怪異なんて全然怖くない」と危険を無視する子供でもない。

恐ろしいものを恐ろしいと理解しながら、それだけで相手のすべてを決めつけない。

この姿勢が、薫の性格から作品全体のオカルトコメディ構造まで一本につながっている。

なお原作漫画はKADOKAWAから刊行されており、2026年6月23日にコミックス第8巻が発売された。カドコミでは2022年3月30日公開の第1話から連載が続いている。

薫はなぜ女の子のような服を着ている?

薫について初めて調べた人が戸惑いやすいのが服装だろう。

薫は男子だけれど、女性ものの服を着ている姿が珍しくない。TVアニメ公式のキャラクター紹介でも、この点は明確にプロフィールへ組み込まれている。

原作では、姉の日向が着なかった女の子向けの服を母親から着せられてきた経緯が描かれており、本人は服装そのものにあまり頓着していない。

大切なのは、服装だけを取り出して薫の人物像を決めないことだ。

薫は金髪碧眼の整った容姿で、一見するとおとなしい子に見える。しかし実際には活発で、胆力があり、山遊びにも慣れている。

かわいらしい外見と大胆な行動。

華奢に見える身体と意外な怪力。

おとなしく見える第一印象と、遠慮なく他人へ入り込んでいくコミュニケーション力。

薫には最初から、「見た目だけでは中身が分からない」というギャップが意図的に積み重ねられているように見える。

TVアニメで薫を演じる寺澤百花も、キャスト発表時の公式コメントで、薫について予想とは逆方向へ進むキャラクターだという趣旨の印象を語っている。

この「予想を裏切る」という感覚は、薫をかなり正確に表していると思う。

※画像はAIによるイメージ

薫の性格は?奔放でも本当の危険は見極める

薫は活発で好奇心が強く、姉の日向とともにダラさんを振り回す側の人物だ。

ただ、単純な「怖いもの知らず」として見ると人物像を読み違える。

薫は大胆だけれど、危険そのものを理解できないわけではない。

ここが重要なんだ。

日向と薫は怪異に関する知識や経験をある程度持っているため、「面白そう」という理由だけで未知の怪異へ突撃するわけではない。

たとえば不穏な現象が起きたとき、それが本当に危険なものだと判断すれば無理に確認しに行かない。

逆に安全性をある程度判断できれば、一気に好奇心が勝つ。

この切り替えが薫らしい。

ホラー作品では、物語を進めるために登場人物が明らかに危険な場所へ入ってしまうことがある。もちろんそれもジャンルのお約束だけど、『令和のダラさん』は少し違う。

日向と薫は、危険と分かったうえで何でも軽視するわけではない。

禁足地で肝試しを企画するような大胆さを持ちながらも、怪異のルールそのものまで冗談にはしない。

この感覚があるから、ダラさんと仲良くなったあとも作品からホラーの緊張感が完全には消えない。

遊べる怪異とは遊ぶ。でも、触れてはいけないものには触れない。

言葉にするとシンプルだけど、この線引きを子供側のキャラクターが理解していることが、本作のコメディを成立させる重要な土台になっている。

もし薫が何も考えず怪異へ突っ込むだけなら、ダラさんは毎回その後始末をする保護者になってしまう。

反対に慎重すぎれば、怪異との奇妙な日常は始まらない。

危機管理能力と好奇心を両方持つからこそ、薫は怪異世界へ踏み込めるんだ。

薫は人との距離を縮めるのもうまい

薫のもう一つの特徴が、コミュニケーション能力の高さだ。

とっさに話を組み立てる機転があり、自分が周囲からどう見えるかについても無自覚ではない。

つまり、見た目がかわいいだけの天然系キャラクターではない。

むしろ周囲の空気を読みながら、自分の特徴まで利用して人間関係へ入り込めるタイプだ。

この性質はダラさん以外との関係にも表れている。

TVアニメ公式サイトでは、三十木谷家の近所に住む五十子美和について、薫とは幼いころから仲がよく、イラストを手伝ってもらうこともあると紹介されている。

美和はフリーのデザイナーとして仕事をしながら同人活動もしている人物で、男性との会話が苦手という一面も持つ。

そんな美和と幼少期から自然な関係を築いていることからも、薫の「人との間へ入っていく力」が見える。

しかも薫自身も画力が高い。

この設定はTVアニメ公式の人物紹介にも明記されており、美和とのつながりを考えると単なるプロフィール上の小ネタではなく、他者との関係を作る具体的な特技としても機能している。

僕は、薫がダラさんと仲良くなれる理由もここにあると思っている。

怪異を怖がらないこと以上に、相手を肩書きだけで判断せず、目の前にいる「ひとりの相手」として接するのがうまい。

「祟り神だからこう接するべき」という固定観念より、実際に話してみたダラさんがどういう相手なのかを優先する。

だから何百年もの因縁を背負う怪異に対しても、妙に自然な距離まで入り込めるんだ。


薫には霊能力がある?日向との違いと怪力を解説

薫には、霊的な存在や異変を察知する素質がある。

ただし、姉の日向とは能力の見せ方が違う。

TVアニメ公式プロフィールで日向は、霊感が非常に強い人物として明確に紹介されている。薫も怪異と接触できる側にいるものの、霊的な感知能力では姉の存在感が大きい。

原作でも、薫は隠形状態のダラさんを完全にはっきり見るというより、異質なものとして認識する場面がある。

ここで姉弟をまったく同じ能力にしなかったのが面白い。

脚本の構造として見るなら、日向と薫は同じ三十木谷家の子供でありながら、怪異への接続方法が少しずつ違う。

日向は怪異を強く「知覚する」側、薫は怪異との関係を「動かす」側。

もちろんこれは公式が示した役職のような設定ではなく、僕が物語上の働きを整理したものだ。

でも二人の違いを見るには分かりやすいと思う。

日向は強い霊感によって怪異世界の異常を捉えられる。一方の薫は好奇心と行動力、そして対人距離の近さによって、分かったあとに「じゃあどう付き合う?」というところまで物語を進める。

二人がセットだから強い。

どちらか一人だけでは、『令和のダラさん』の怪異と日常のバランスは今とはかなり違って見えたはずだ。

小学5年生らしからぬ怪力も薫のギャップ

さらに薫は、外見から想像しにくい身体能力を見せる。

かわいらしい金髪碧眼の小学5年生という第一印象からすると意外だけど、原作では怪力や山育ちらしい身体感覚が笑いにつながる。

怪異が絡む局面でも、この身体性が思わぬ形で役に立つ。

面白いのは、超常的な世界の出来事を、いきなり子供らしい遊びの感覚へ着地させるところだ。

怪異の力。

霊的な現象。

山に伝わる古い因縁。

普通ならシリアスな能力バトルへ発展しそうな材料がそろっているのに、薫が絡むと「子供ならこういうことをやりそう」という日常の感覚が混ざってくる。

※画像はAIによるイメージ

これは『令和のダラさん』の笑いを考えるうえで結構大きい。

本作はホラー設定を壊してギャグにするのではなく、本気の怪異設定とくだらない日常を同じ世界に置くことで笑いを生み出している。

その橋渡しをしやすいのが薫なんだ。

強いけれど、バトル漫画の戦士ではない。

霊感があるけれど、本格的な退魔師として振る舞うわけでもない。

怪異に詳しくても、それを神秘的なものとして遠くから崇めるわけではない。

あくまで現代の小学5年生として怪異へ接する。

この「普通じゃない能力を持った普通の子供」という立ち位置が、本作のオカルトとコメディをきれいにつないでいる。


薫とダラさんの関係は?祟り神を日常へ引っ張り出す存在

薫の物語上の重要性が最も分かりやすく表れるのが、ダラさんとの関係だ。

TVアニメ公式の説明では、ダラさんこと屋跨斑は半人半蛇の身体と6本の腕を持つ祟り神。

その外見とは裏腹に温厚かつ理性的で、現代文明にも適応している。威厳ある土地神を自称しつつ、少し寂しがり屋という人物像も示されている。

つまりダラさん自身も、薫と同じように第一印象と中身が一致しない。

見た目だけなら恐ろしい怪物。

話してみれば理性的。

祟り神なのに、現代の子供たちに振り回される。

そして、そのギャップを最も遠慮なく引き出すのが日向と薫だ。

アニメ公式イントロダクションも、この関係を作品の中心に置いている。

忌み地へ踏み込んだ姉弟が巨大な蛇体を持つ祟り神と遭遇する。

ここまでは完全にホラーだ。

ところが二人は屋跨斑を「ダラさん」と呼んで懐いてしまう。

すると、祟り神のほうがツッコミ役へ回る。

この反転だけで、『令和のダラさん』がどういう作品なのかかなり説明できてしまう。

そして薫は、この反転を継続させるキャラクターでもある。

最初の遭遇だけがギャグなのではない。

ダラさんのいる場所へ遊びに行き、会話し、頼り、遊びへ巻き込み、怪異の能力すら日常側へ持ってくる。

薫にとってダラさんは、恐怖伝承の向こう側にいる抽象的な「祟り神」ではなくなっていく。

目の前にいて、話せて、一緒に遊べるダラさんだ。

ここに僕は、本作の温かさがあると思う。

ダラさんを「過去」ではなく「現在」に置き直す

ダラさんは、ただ変な姿をした愉快な怪異ではない。

彼女の背景には、古い時代から続く因縁と悲しい過去がある。

その詳細までここで掘り下げると薫の記事から離れてしまうので省くけれど、重要なのは、ダラさんが人間との関係によって深く傷ついてきた存在だということだ。

だから本来、人間とダラさんの間にはものすごく重い歴史が横たわっている。

祟り。

信仰。

禁忌。

封印。

過去の惨劇。

そうした言葉で説明されてきた存在に対し、薫は現代の小学5年生として接する。

ここで起きていることを、僕は「ダラさんを過去から現在へ連れ出す」ことだと捉えている。

もちろん過去を忘れさせるという意味ではない。

悲劇をなかったことにするわけでもない。

過去を背負ったままでも、今日一緒に遊ぶことはできる。

その「今日」を作っているのが日向と薫なんだ。

これは『令和のダラさん』のタイトルを考えるうえでも面白いポイントだと思う。

古い伝承に属する怪異が令和へ来たから「令和のダラさん」なのではなく、現代の人間との新しい関係を作り直しているからこそ、彼女は“令和の”ダラさんになっていく。

その変化を起こす中心人物の一人が薫だ。

超常的な力さえ「遊び」に変えてしまう

薫とダラさんの関係では、超常的な力さえ日常の遊びへ変換される。

薫がダラさんの力を借りて怪光線のようなものを放つくだりは、その象徴的な場面だ。

能力バトル作品なら、「新技を習得した」「戦闘能力が上がった」という展開になりそうなところだろう。

でも『令和のダラさん』では、強さそのものより「ダラさんが子供の遊びに付き合っている」という関係性のほうが面白い。

怪異を倒すために力を借りるのではない。

怪異の力で遊ぶ。

この発想のズレが作品らしい。

そしてダラさん側も、なんだかんだ言いながら姉弟との時間に付き合ってしまう。

つまり一方的に薫が怪異を消費しているわけでもない。

子供たちがダラさんを日常へ連れ出し、ダラさんも子供たちの日常を少しだけ特別なものに変える。

この双方向性があるから、単なる「怖い怪物をいじるギャグ」では終わらないんだ。

※画像はAIによるイメージ

日向と薫は何が違う?姉弟で成立させる怪異コメディ

三十木谷日向と薫には共通点が多い。

二人とも胆力があり、普通なら近づきたくないダラさんへ積極的に関わる。

それでも同じ役割を二人並べているわけではない。

日向は中学2年生で、TVアニメ公式でも非常に強い霊感を持つことが強調されている。

対して薫は小学5年生。公式プロフィールでは活発さと画力が前面に出されており、原作を含めて見ると、人や怪異との距離を大胆に縮める行動力が印象に残る。

僕なりに整理するなら、

日向は「怪異を見抜く力」が強く、薫は「怪異と日常をつなぐ力」が強い。

この役割分担として読むと、三十木谷姉弟の存在意義がかなり分かりやすくなる。

日向の強い霊感によって、怪異がただの想像ではなく現実として認識される。

そこへ薫の好奇心とコミュニケーション力が入ることで、「怪異がいる」から「怪異とどう過ごすか」へ物語が進む。

認識する人と、関係を動かす人。

この二段構えだ。

しかも二人とも、怪異を軽視しているわけではない。

ここが本当に大切だと思う。

もし姉弟が「幽霊も祟りも余裕」と何も恐れないキャラクターだったら、ダラさんの恐ろしさまで消えてしまう。

逆に怪異を恐怖の対象としてしか見られなければ、日常コメディにはならない。

危険なものには警戒する。

でも、見た目が恐ろしいというだけで悪だとは決めつけない。

このバランスを姉弟が持っているから、ホラーを否定せずにコメディへ接続できる。

薫はそのなかでも、とりわけ「接続」の側を担当する人物に見える。


アニメ版の薫はどう描かれた?寺澤百花が演じる全13話

TVアニメ『令和のダラさん』は2026年7月2日に放送を開始した。

AT-Xでは7月2日21時30分から、TOKYO MXでは同日22時30分から、BS日テレでは23時から放送。ABEMAとdアニメストアでは同日22時から最速先行配信された。

放送日時や配信状況は変更される場合があるため、今後視聴する場合は最新の公式情報も確認してほしい。

制作スタッフは、原作がともつか治臣、監督が鈴木理人、シリーズ構成が木村暢・山田靖智、キャラクターデザインが菊田幸一、アニメーション制作が旭プロダクション。

そして主要キャストは、ダラさん役が田村睦心、日向役が津田美波、薫役が寺澤百花だ。

ほかにも初瀬川周役の古賀葵、筆木直道役の杉田智和、五十子美和役の相沢舞、姉巫女役の早見沙織、おろち役の大塚芳忠らが出演している。

最終回となる第十三怪「令和のダラさん」は2026年9月24日に放送された。

最終怪では、自分の名前を思い出したダラさんの身体に異変が起こり、日向と薫も因縁に巻き込まれていく。

つまりアニメ版でも薫は、単なる日常パートのコメディ要員ではない。

物語が大きく動く局面までダラさんとともに進む、明確な主要人物なんだ。

寺澤百花のキャスト発表時のコメントにも注目したい。

そこで語られているのは、薫が予想とは逆方向へ進んでいくキャラクターだという印象と、本作ではギャグパートとシリアスパートの落差が大きいという点だ。

この二つは実はつながっている。

薫自身がギャップのキャラクターだからだ。

かわいらしいのに大胆。

子供なのに危機判断は意外と冷静。

怪異に近づくのに、怪異を軽視しているわけではない。

コメディを動かすのに、シリアスな場面から切り離されてもいない。

だから薫というキャラクターそのものが、『令和のダラさん』の「ギャグとシリアスを同じ世界で成立させる」という作風を小さく凝縮した存在にも見えてくる。

なお、以前の記事で触れていた「海外放送を考慮して児童に関する表現を変更した」という趣旨の説明や、監督発言と原作表現の変更を直接結びつける記述については、この記事では採用していない。

人物像を理解するうえで不可欠ではないうえ、発言主体・日時・媒体まで一次情報として明確に確認できない内容を、確定した制作意図として扱うべきではないからだ。

キャラクター解説では、設定をたくさん並べること以上に、確認できた事実と作品を読んだうえでの解釈を混同しないことが大切だと思う。


薫が重要な理由は?3つの視点から考察

ここからは公式プロフィールそのものではなく、原作とアニメで描かれる薫の役割を踏まえた僕自身の考察になる。

薫の重要性は、大きく3つに整理できる。

「怪異と日常をつなぐこと」「外見と本質のズレを体現すること」「古い伝承と令和の感覚を接続すること」だ。

この3本で考えると、なぜ小学5年生の薫がダラさん、日向と並ぶ中心人物なのかが見えやすくなる。

1.薫は「怪異と日常」をつなぐ

まず最も分かりやすいのがこれだ。

ダラさんを普通のホラー作品に置けば、かなり恐ろしい存在になる。

巨大な蛇体。

6本の腕。

祟り神。

立ち入りを禁じられた忌み地。

これだけ材料がそろえば、「遭遇してはいけない怪異」として十分すぎる。

でも薫は、そこへ日常を持ち込む。

話しかける。

遊ぶ。

頼る。

面白いことへ巻き込む。

結果としてダラさんは、怪異であることをやめないまま、三十木谷姉弟の日常に参加することになる。

僕はここが『令和のダラさん』最大の発明の一つだと思っている。

怪異の正体を暴いて怖くなくするのではない。

退治して安全にするのでもない。

怪異のまま付き合う。

薫は、その関係を成立させるための重要な媒介者なんだ。

2.薫とダラさんには「外見と本質のズレ」がある

もう一つ面白いのが、薫とダラさんの対照性だ。

薫は金髪碧眼で、一見するとおとなしそうな美しい容姿をしている。

ところが実際には活発で大胆。

一方のダラさんは半人半蛇で6本の腕を持つ、恐ろしい姿の祟り神だ。

ところが公式プロフィールでは、温厚で理性的な性格として紹介されている。

二人とも、見た目だけで判断すると人物像を読み違える。

ここが偶然以上に面白い。

ダラさんは長い間、「祟り神」「恐ろしい怪異」という外側の情報によって人間から認識されてきた。

薫もまた、見た目だけなら実際の活発さや大胆さが分かりにくい。

だから二人が自然に仲良くなる構図には、「外見や属性だけでは相手は分からない」という作品の感覚がにじんでいるように僕には見える。

薫がこのテーマを長々と語るわけではない。

そこがいい。

説教として提示するのではなく、二人が普通に遊んでいる姿そのものが答えになっている。

※画像はAIによるイメージ

3.薫は古い伝承と「令和」の感覚を接続する

そして三つ目が、本作のタイトルにも関係する「令和性」だ。

ダラさんは、古い土地の伝承や禁忌、祟りと結びついた存在だ。

薫は現代の小学5年生。

この二人の間には、人間と怪異という違いだけでなく、古い伝承と現代の日常という時間的な隔たりまである。

昔から恐れられているから恐れる。

祟り神と呼ばれているから悪い存在だと決める。

薫は、そういう接し方をしない。

もちろん古いルールを全部否定しているわけでもない。

危険な怪異は危険だと判断するし、禁忌には禁忌になった理由がある。

つまり薫の姿勢は「昔の価値観なんて全部古い」ではない。

伝承や危険性は理解する。

それでも目の前にいる相手については、自分自身の経験から判断する。

この柔軟さが現代的なんだ。

だから僕は、『令和のダラさん』における「令和」は単なる時代設定ではなく、古い怪異との関係を現代の感覚で結び直すことにも意味があると考えている。

ダラさんの過去は消えない。

祟り神という性質もなくならない。

忌み地の危険まで消えるわけではない。

それでも関係は変えられる。

恐怖だけだった場所に、会話や遊びや笑いが増えていく。

薫はその変化をものすごく軽やかに起こす。

だからこそ、ただの「かわいい小学5年生キャラ」では終わらない。

ダラさんは「怖くなくなる」のではなく「怖いまま親しくなる」

この3つの考察をまとめると、一つの面白い結論が見えてくる。

薫と仲良くなったからといって、ダラさんが安全なマスコットへ変わるわけではない。

禁足地は本物の怪異が存在する場所だ。

ダラさん自身も超常的な存在であり、その背景には重い過去がある。

つまり物語が進んでも、「実は何も怖くありませんでした」という話にはならない。

怖さは残っている。でも、怖さだけがダラさんの全部ではない。

この距離感こそ、『令和のダラさん』の強みだと僕は思う。

そして、それを成立させるには薫のような人物が必要になる。

怪異を怖がりすぎない。

でも舐めない。

相手の異質さを消そうともしない。

それでも近づく。

脚本研究の視点から見ると、薫はこの作品のジャンルバランスを支えるかなり機能的なキャラクターだ。

ホラーとコメディは、一歩間違えると互いを壊してしまう。

怪異をギャグにしすぎれば怖くなくなるし、恐怖を強調しすぎれば日常的な掛け合いが成立しない。

薫には、その中間を歩ける性格が与えられている。

危険を理解する知性と、それでも相手へ近づける大胆さ。

だからダラさんの怖さを残したまま、親しさだけを増やせる。

僕が薫を『令和のダラさん』のキーパーソンだと考える最大の理由は、ここにある。


まとめ|『令和のダラさん』薫は怪異と現代をつなぐキーパーソン

三十木谷薫は、屋跨斑を祀る山の山守を務める三十木谷家の長男で、地元の小学校に通う小学5年生の男子だ。

金髪碧眼で女性ものの服を着ることもあり、一見するとおとなしく見える。しかし実際には活発で大胆。高い画力を持ち、怪異に関わる場面では三十木谷家の子供らしい感覚や行動力も見せる。

姉は、非常に強い霊感を持つ中学2年生の三十木谷日向。

そして姉弟が山の忌み地で出会うのが、半人半蛇の身体と6本の腕を持つ祟り神・屋跨斑――ダラさんだ。

薫の面白さは、単にダラさんを怖がらないことではない。

危険なものを危険だと理解しながら、恐ろしい外見や「祟り神」という属性だけで目の前の相手を決めつけないところにある。

だから怪異を倒すのではなく、一緒に遊べる。

遠ざけるのではなく、適切な距離を探せる。

そして、過去の伝承に閉じ込められていたダラさんを現代の日常へ引っ張り出していく。

さらに薫自身も、見た目と中身に大きなギャップを持つ人物だ。

おとなしそうなのに活発。

かわいらしいのに大胆。

子供らしく好奇心旺盛なのに、本当の危険には一定の警戒心を持っている。

恐ろしい姿なのに温厚で理性的なダラさんとは、ちょうど鏡のような関係になっている。

TVアニメでは寺澤百花が薫を担当し、2026年7月2日の放送開始から9月24日の第十三怪「令和のダラさん」まで、日向やダラさんとともに物語の中心を担った。

薫は「怪異を怖くなくする人物」ではなく、「怖さも異質さも残したまま、怪異と日常を共有できる人物」だ。

そこまで見えてくると、薫がなぜ『令和のダラさん』に欠かせないのかも分かってくる。

古い怪異と現代の子供。

祟りと遊び。

恐怖と親しさ。

一見すると両立しそうにないものを、無理にどちらかへ寄せずにつないでしまう。

三十木谷薫というキャラクターは、『令和のダラさん』という作品そのものの魅力を、小さな身体でかなり鮮やかに体現しているんだと思う。


よくある質問

『令和のダラさん』の薫は男の子?女の子?

三十木谷薫は小学5年生の男子で、三十木谷家の長男だ。

金髪碧眼の美しい容姿を持ち、女性ものの服を着ていることもあるため、初見では女の子だと思う人もいるかもしれない。TVアニメ公式サイトでも長男・小学5年生として紹介されている。

三十木谷薫のアニメ声優は誰?

2026年放送のTVアニメ『令和のダラさん』では、寺澤百花が三十木谷薫を演じている。

TVアニメは2026年7月2日に放送を開始し、9月24日の第十三怪「令和のダラさん」で最終回を迎えた。ダラさん役は田村睦心、姉の三十木谷日向役は津田美波が担当している。

薫にも霊能力はある?

薫も霊的な存在や異変と接する側の人物で、原作では霊的なものを察知する描写がある。

ただし姉の日向はTVアニメ公式プロフィールでも非常に強い霊感の持ち主として明示されており、怪異の知覚では日向の能力が特に強調されている。物語上では、日向の強い感知能力と薫の行動力が組み合わさることで、姉弟ならではの怪異との付き合い方が成立している。

※原作の刊行状況、アニメの放送・配信情報などは変更される場合があります。最新情報は公式発表をご確認ください。

神崎悠真(かんざきゆうま)
アニメ批評家|脚本研究家|ファンマーケター

SF・ファンタジー・アクション
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