『令和のダラさん』は残酷描写を売りにする作品ではないが、異形・祟り・死・因縁を扱う本格的な怪異表現には注意が必要だ。
「『令和のダラさん』ってグロい?」「ホラーが苦手でも読める?」「アニメを見たいけど怖すぎない?」。検索している人が本当に知りたいのは、単純な怖い・怖くないではなく、何がどのように怖い作品なのかだと思う。
ともつか治臣による『令和のダラさん』は、祟り神・屋跨斑(やまたぎまだら)、通称ダラさんと、三十木谷日向・薫のきょうだいを中心に描くオカルト&コメディ作品だ。
原作第1巻では、嵐の日に土砂崩れで柵が壊れ、長く立入禁止だった土地へ踏み込んだきょうだいが恐ろしげな怪異と遭遇するところから始まる。
2026年に放送されたTVアニメの公式設定では、ダラさんは半人半蛇の身体と6本の腕を持つ祟り神。山奥の「忌み地」や祠、祟り、命の危険まで語られるため、ホラーとしての設定はかなり本格的だ。
ただし、日向と薫はそんな怪異をほとんど恐れない。
怖い怪異に出会ったはずなのに、親しげに「ダラさん」と呼んで懐いてしまう。ここから恐怖と笑いがひっくり返り、本作独特の空気が生まれていく。
この記事では2026年10月時点で確認できる原作第8巻までの公式情報とTVアニメの設定を軸に、流血・身体損傷・異形・死・祟り・因習・心理的な怖さを分けて整理する。
先の巻に触れる部分は核心を必要以上に明かさない範囲にとどめるので、「自分でも読めそうか」を判断する材料として使ってほしい。
『令和のダラさん』はグロい?まず刺激の種類を整理
結論から言えば、『令和のダラさん』は流血や身体破壊そのものを見せ場として連発するタイプのグロ作品とは性格が違う。
一方で、「だから刺激が弱い」と考えるのも正確ではない。
本作で強く感じやすいのは、血の量よりも人間から大きく外れた異形の造形と、民俗ホラー的な不気味さだからだ。
読者向けに大まかに分けるなら、こんなイメージになる。
- 流血・直接的な残酷さ:作品全体の中心的な魅力ではない
- 身体損傷や死に関係する題材:過去や怪異の設定に関わるため登場する
- 異形・身体変形系の怖さ:強め。半人半蛇や多腕など怪異らしい造形が重要
- 死体や内臓を見せ続ける方向性:作品の主目的ではない
- 祟り・穢れ・怨霊・取り憑き:物語上かなり重要
- 禁足地・祠・古い因縁:強め。日本的な民俗ホラーが苦手な人は注意
- 悲しい過去や死にまつわる重さ:巻を重ねると重要度が上がる
- ギャグによる緊張の緩和:非常に多く、本作を純粋な恐怖作品にしない最大の要素
ここで注意したいのは、「グロい」という言葉の意味が人によってかなり違うことだ。
血を見るのが苦手な人もいれば、流血は平気でも、腕が多い、人間と蛇が混ざっている、通常とは違う身体構造を持つ、といった異形表現が無理な人もいる。
さらに映像としての刺激は平気でも、「昔から立ち入ってはいけない土地がある」「そこには何かが封じられている」といった因習・禁足地系の怪談が精神的に怖い人もいるだろう。
『令和のダラさん』との相性を決めやすいのは、むしろ後者だ。
アニメ公式でダラさんこと屋跨斑は、半人半蛇の身体と6本の腕を持つ祟り神として紹介されている。外見は明確に「普通の人間ではないもの」としてデザインされている。
しかも、舞台となる山奥には立ち入りを固く禁じられてきた「忌み地」があり、怪しげな祠まで存在する。
つまり設定だけ抜き出せば、かなり正統派の怪談なんだ。
ところが、ここへ日向と薫が入ってくると全部がおかしくなる。
原作第1巻では、嵐の日の土砂崩れによって柵が崩壊し、長く立入禁止だった土地へきょうだいが踏み込む。
普通のホラーなら、もう嫌な予感しかしない。
案の定、そこで恐ろしげな怪異と出会う。
逃げるのか。
悲鳴を上げるのか。
家族に助けを求めるのか。
……と思ったら、二人はあまり動じない。
それどころか怪異を「ダラさん」と呼び、距離を縮めてしまう。
ホラー映画の怪物が完璧な登場を決めたのに、主人公側だけがホラー映画のルールに参加してくれない。
このズレが、『令和のダラさん』の笑いの原点だ。
だから「グロい?」への答えをYESかNOだけで返すと、作品の実態からずれてしまう。
大量の流血や残酷な身体破壊を延々と見せられる作品を想像しているなら、方向性はかなり違う。
一方で、半人半蛇、多腕、怨霊、祟り、禁足地といった怪異そのもののビジュアルや設定まで「グロい」に含める人なら注意が必要だ。
僕なら『令和のダラさん』を「残酷系グロ作品」ではなく、異形系オカルトコメディとして捉える。
この区別が、読むか迷っている人には一番役立つと思う。
『令和のダラさん』の何が怖い?異形と忌み地がホラーの中心
『令和のダラさん』の怖さを理解するなら、血の量より先に「異形」と「境界」を見る必要がある。
この二つが、本作の恐怖演出を支える大きな柱だからだ。
TVアニメ公式のイントロダクションでは、山奥の集落に立ち入りを禁じられた「忌み地」があり、そこには怪しげな祠が存在すると説明されている。
その山を代々管理してきたのが三十木谷家。
そこに生まれた日向と薫が、ある嵐の夜に禁忌の土地へ入り、巨大な蛇体を持つ祟り神・屋跨斑と遭遇する。
この導入を要素だけに分解してみよう。
「山奥の集落」
「代々土地を管理してきた家」
「立ち入ってはいけない場所」
「古い祠」
「祟りの言い伝え」
「嵐によって破壊される境界」
「禁忌を越えてしまう子ども」
「その先にいる人ならざるもの」
これだけ並べると、完全に怪談だ。
脚本研究の視点から見ると、特に面白いのが「柵が壊れる」ことから物語が動き始める点だ。
ホラーでは境界がとても重要になる。
家の扉、鳥居、橋、トンネル、森、川、門、柵。
こうしたものは、単なる背景ではなく「ここまでは人間の日常」「ここから先は別の世界」という境目として機能する。
『令和のダラさん』では、その境界が自然災害によって物理的に壊れる。
日常と異界を隔てていたものが開いてしまうわけだ。
普通なら、境界を越えた人間が恐怖に巻き込まれることで物語が進む。
でも本作は違う。
境界を越えた日向と薫が、異界の住人であるダラさんと友達のようなコミュニケーションを始めてしまう。
ここが非常に面白い。
ダラさんが怖くないデザインだから笑えるのではない。
むしろ逆だ。
アニメ公式でも、その外見は「おぞましい」と表現される一方、性格は温厚かつ理性的で、現代文明にも適応していると紹介されている。
外見と内面が真逆なんだ。
もし最初から丸くてかわいい妖怪だったら、日向と薫が懐いても意外性は薄い。
半人半蛇で6本腕の祟り神。
見るからに怖い。
それなのに二人は平然としている。
だから笑える。
ホラーとして説得力のある外見が、そのままコメディを成立させる装置になっている。
ここが本作を「ホラーとコメディが交互に来る漫画」以上のものにしている。
怖い絵が来る。
読者が身構える。
会話が始まる。
ダラさんが思った以上に理性的だ。
日向と薫が遠慮なく距離を詰める。
いつの間にかダラさんがツッコミ役になっている。
緊張が解ける。
そして忘れたころに、また怪異としての世界が顔を出す。
この緊張→緩和→緊張→緩和の反復があるため、恐怖感が長時間固定されにくい。
だから「怖い絵は大丈夫だけど、ずっと怖い空気が続く作品は疲れる」という人には比較的入りやすいと思う。
逆に、会話が面白いかどうかとは関係なく、異形の身体を見ること自体が苦手な人には注意してほしい。
特にアニメでは色、動き、声、音響が加わる。
漫画で自分のペースなら読めても、映像になると怪異の存在感が強く感じられる人もいるだろう。
つまり「ホラーが苦手か」ではなく、自分はホラーの何が苦手なのかを確認することが大切なんだ。
ダラさんの過去は怖い?死・怨霊・祟りのシリアス度
現代パートのドタバタだけを見ていると、『令和のダラさん』を「怖い見た目の妖怪と子どもが遊ぶコメディ」と思うかもしれない。
でもシリーズを読み進めると、それだけではないことが分かってくる。
ダラさんがなぜ祟り神になったのか。
ここへ踏み込んだ瞬間、物語の温度はかなり変わる。
KADOKAWAによる原作第3巻の紹介では、きょうだいの母・千夜とダラさんの20数年に及ぶ絆に加え、生前のダラさんに何が起きたのか、その過去が明らかになっていくことが示されている。
さらに第4巻では、ダラさんが非業の死を遂げて祟り神となった存在であることが公式の商品紹介でも明記されている。
ここは「グロい?」と検索している人にも重要だ。
死に関係する題材そのものが苦手なら、現代パートがコメディだから大丈夫とは言い切れない。
ダラさんの背景には悲劇がある。
そしてその過去は、キャラクターを理解するための重要な部分になっている。
第5巻ではさらに、いつものように遊んでいたダラさんに異変が起き、過去の因縁がダラさんと三十木谷きょうだいを襲う展開へ進む。
第6巻では、日向と初瀬川周のクラスメイトであるハコちゃんに謎の怪異が取り憑く事件が描かれる。
そして2026年6月23日に発売された第8巻では、周の夢見が映す「おろち」の記憶を通じて、穢れと祟りに満ちた忌み地の歴史へ踏み込んでいく。
つまり『令和のダラさん』は、巻を重ねた結果、怪異要素が消えて普通の日常コメディになる作品ではない。
むしろ逆。
日向や薫との楽しい現在を描きながら、怪異側の歴史や因縁を少しずつ掘り下げている。
ここで重要なのは、暗い過去が単なる刺激として置かれているわけではないことだと思う。
現在のダラさんは、日向と薫に振り回される。
世話を焼く。
ツッコミを入れる。
現代文明にも順応する。
祟り神なのに妙に生真面目で、公式設定では少し寂しがりな一面まで持っている。
最初はその落差だけで笑える。
ところが過去を知ると、同じ場面の意味が変わってくる。
令和の時代に誰かが会いに来る。
一緒に遊ぶ。
お供え物をもらう。
面倒を見る相手がいる。
騒がしく振り回される。
それらが単なるギャグではなく、悲しい過去を持つ存在が現在では誰かと穏やかな時間を過ごせているという光景にも見えてくる。
僕はここが『令和のダラさん』のかなり強い部分だと思う。
過去の恐怖を見せることで現在まで暗くするのではなく、過去が暗いから現在の日常が明るく見える。
脚本的には、後から明かされた情報によって、それ以前の場面の意味が変わる「再文脈化」に近い構造だ。
最初は笑っていた場面に、後から別の感情が乗ってくる。
怖さが、キャラクターへの愛着を壊すのではない。
怖さと悲しさを知ることで、むしろ日常への愛着が増していく。
だから本作のホラー要素を全部取り除けば、もっと万人向けになるかというと、僕はそう思わない。
祟り神としての背景があるから、令和で世話焼きになっている姿がおかしい。
悲しい歴史があるから、日向や薫との現在が温かい。
怪異であることをやめないからこそ、日常との落差が成立する。
ホラーとコメディは別々の味付けではなく、かなり深いところで結びついているんだ。
ホラーが苦手でも読める?原作漫画とアニメの注意点
ホラーが苦手な人でも『令和のダラさん』を楽しめる可能性は十分ある。
ただし、「ホラーが苦手」という一言では判断しにくい。
僕なら、異形・民俗ホラー・死や因縁・音による恐怖の4点に分けて考えることを勧めたい。
まず異形。
ここが苦手なら注意度は高い。
アニメ公式設定でも、ダラさんは半人半蛇で6本の腕を持つ祟り神と明記されている。
しかもタイトルキャラクターだから、「序盤だけ怖い怪物が出て、その後はいなくなる」という話ではない。
ただし、読者や視聴者側の印象は大きく変わる。
最初は「おぞましい怪異」に見えていたものが、日向と薫との交流を重ねるうちに「ダラさん」に見えてくる。
外見そのものが普通になるわけではない。
見る側が慣れ、人格を知り、恐怖の対象だった姿に親しみを感じ始める。
この感覚は本作ならではだ。
次が民俗ホラー。
禁足地、祠、祟り、穢れ、怨霊、古い家系、土地の歴史といった言葉にゾクッとする人はこちらを警戒したほうがいい。
『令和のダラさん』は、突然怪物が飛び出すだけのホラーではない。
「この土地には昔から何かある」
「代々伝えられてきたものがある」
「人間が知らないところで古い因縁が続いている」
そういう時間の長い怖さを持っている。
僕自身、これは流血より効く人がかなりいると思う。
そして三つ目が、死や悲しい過去。
第3巻以降ではダラさんの生前、第4巻では非業の死、第5巻では過去の因縁と、シリアスな背景が作品の重要な柱になっていく。
「笑える妖怪日常漫画だけを読みたい」という期待で入ると、思ったより重いと感じる可能性がある。
一方で、怖い話でもキャラクター同士の掛け合いが楽しいなら読める、という人には相性がいい。
実際、TVアニメで日向を演じた津田美波も公式コメントで、作品をホラーとドタバタギャグが混ざったものとして紹介し、日向が恐怖感を薄めるキャラクターであることに触れている。
薫役の寺澤百花も、ギャグとシリアスの大きな落差を作品の魅力として挙げている。
つまり「怖いけれど笑える」というのは、読者側が勝手にそう解釈しているだけではない。
作品自体が、恐怖と笑いの落差を明確な個性として持っている。
アニメ版についても整理しておこう。
TVアニメ『令和のダラさん』は2026年7月2日から放送され、ダラさんを田村睦心、三十木谷日向を津田美波、三十木谷薫を寺澤百花が演じた。
さらに初瀬川周役は古賀葵、筆木直道役は杉田智和、姉巫女役は早見沙織、おろち役は大塚芳忠などが担当している。
放送開始時点では、AT-Xが7月2日21時30分、TOKYO MXが22時30分、BS日テレが23時、カンテレが25時45分から放送。
ABEMAとdアニメストアでは7月2日22時から最速先行配信され、その他のサービスでも順次配信された。
放送期間は2026年7月2日から9月24日までで、全13話。
ただし、「漫画よりアニメのほうが怖くない」「アニメなら安心」と単純には言えない。
漫画は自分のペースでページをめくれる。
怖そうなら少し離れて見ることもできるし、間を自分で調整できる。
アニメではそれができない。
怪異が動く。
声が付く。
効果音が鳴る。
音楽によって不穏な空気が強調される。
カットを切り替えるタイミングも制作側が決める。
一方で、声優の芝居によってダラさんの理性的な性格や、日向・薫とのコミカルなテンポも分かりやすくなる。
つまりアニメ化は、ホラーだけを強化するのではなく、コメディ側も同時に強化するんだ。
不気味な絵を自分のペースで見るほうが怖い人なら、テンポよく進むアニメのほうが入りやすい可能性もある。
逆に、音や動きによる恐怖に敏感なら漫画のほうが試しやすい。
ここはかなり個人差がある。
なお、放送日時や配信先は変更・配信終了となる可能性もあるため、これから視聴する場合は最新情報をアニメ公式で確認してほしい。
なぜ『令和のダラさん』は怖いのに笑える?最大の特徴を考察
ここまで見てきた情報を整理すると、『令和のダラさん』が「グロい漫画」と一言で分類しにくい理由が見えてくる。
筆者として最大の特徴だと感じるのは、怪異をかわいい存在へ変えるのではなく、怪異のまま親しませていることだ。
ここは似ているようで全然違う。
怖いキャラクターが途中から人間の姿になったり、小さくデフォルメされたりして安心できる作品は珍しくない。
でもダラさんの基本設定は変わらない。
半人半蛇。
6本の腕。
祟り神。
忌み地にいる。
悲しい過去を持っている。
人間から見れば明らかに「向こう側」の存在だ。
それなのに、日向と薫はその外見や肩書きよりも、実際に目の前にいるダラさんとの関係を優先する。
そして読者も二人に引っ張られていく。
最初は怖い。
次に面白い。
少しずつ優しさや生真面目さが見えてくる。
過去を知る。
気づけば親しみを感じている。
ここで起きているのは、キャラクターデザインの変化ではない。
読者の視線の変化なんだ。
僕はこれが『令和のダラさん』のホラー表現を考えるうえで、かなり重要なポイントだと思う。
ホラーでは通常、「理解できないこと」が恐怖になる。
何を考えているか分からない。
何をしてくるか分からない。
人間とは違う。
ルールが分からない。
だから怖い。
ところがダラさんの場合、交流を重ねるほど人格が見えてくる。
理性的。
温厚。
生真面目。
面倒見がいい。
ちょっと寂しがり。
子どもたちに振り回される。
すると外見はほぼ同じでも、未知だった存在が「知っている相手」に変わっていく。
これは恐怖の解除として非常に自然だ。
人間は見た目だけではなく、相手の行動を予測できるようになることで安心する。
『令和のダラさん』は、その心理をキャラクターへの愛着へ変換しているように見える。
そして、ここで作品はもう一段ひねる。
ダラさんに慣れたからといって、世界全体が安全になったわけではない。
第5巻では過去の因縁。
第6巻では別の怪異による取り憑き。
第8巻では、おろちの記憶と忌み地の歴史。
読者にとってダラさんが「怖くない存在」になった後も、怪異という世界そのものの怖さは残される。
これがシリーズを長く続けられる理由の一つだと僕は考えている。
もし恐怖の源がダラさん一人だけなら、読者が慣れた時点でホラーとしての緊張感は失われる。
でも本作では、ダラさんへの恐怖が親しみに変わったあと、世界の奥行きを広げて新しい怪異や歴史を見せられる。
しかも今度はダラさんが読者に近い側へ移動している。
最初は「人間VS怪異」に見えていた構図が、いつの間にか「ダラさんたちと一緒に別の怪異を見る」という構図へ変化する。
これが面白い。
そしてもう一つ重要なのが、過去と現在の対比だ。
アニメで初瀬川周を演じた古賀葵も公式コメントで、過去と現在が交互に描かれ、ダラさんや周囲の人物とのつながりが徐々に明かされていく構成に触れている。
この「過去と現在」が、『令和のダラさん』の感情設計をかなり強くしている。
現在だけを見る。
祟り神が子どもたちに振り回されている。
笑える。
過去を見る。
その存在が背負ってきたものを知る。
現在へ戻る。
同じ日常なのに、前より少し温かく感じる。
これが再文脈化だ。
新しい情報によって、以前に見た場面の意味が変わる。
最初から「これは尊い日常ですよ」と強調する必要はない。
まず普通に笑わせればいい。
後から過去を知った読者自身が、昔読んだ場面に新しい意味を付けてくれる。
だからダラさんが日向や薫の世話を焼いているだけの場面にも、後から感情的な厚みが生まれる。
この構造を踏まえると、異形デザインにも別の意味が見えてくる。
最初は恐怖を作るための姿だった。
でも物語を知った後は、「異形の怪物」ではなく「ダラさんの姿」に見えてくる。
姿は同じ。
読者だけが変わった。
『令和のダラさん』が変化させているのは怪異ではなく、怪異を見るこちら側の認識なんだ。
個人的には、ここが本作を単なる「怖そうで怖くない妖怪コメディ」で終わらせない部分だと思う。
そして「グロい?」と検索している人にも、この視点はかなり重要だ。
自分が苦手なのは血なのか。
身体損傷なのか。
異形なのか。
祟りや禁足地なのか。
死を扱う悲しい物語なのか。
音で驚かされることなのか。
全部を「グロい」でまとめないほうがいい。
少なくとも『令和のダラさん』の場合、流血への耐性より、異形と民俗ホラーへの耐性のほうが相性判断では重要だと僕は考えている。
『令和のダラさん』は結局どんな人なら楽しみやすい?
結論として、残酷描写を延々と見せる作品を避けたい人でも候補には入るが、異形や民俗ホラーそのものが苦手なら慎重に、というのが僕の判断だ。
特に相性がよさそうなのは、妖怪、怪異、都市伝説、民俗ホラーの世界観は好きだけれど、恐怖一辺倒の作品だと疲れてしまう人。
『令和のダラさん』には、怖い世界を完全に安全な世界へ変えるのではなく、そこへ日常の温度を持ち込む面白さがある。
ダラさん自身もその象徴だ。
半人半蛇で6本腕の祟り神。
字面だけなら恐怖の対象でしかない。
でも実際に物語を追っていくと、理性的で温厚。
日向と薫に振り回される。
世話を焼く。
現代文明にも適応する。
祟り神としての威厳と、令和の日常への馴染み方が絶妙に噛み合わない。
そこが笑いになる。
反対に、「人間とは違う身体構造を見ること自体が苦手」という人には注意してほしい。
ダラさんの異形性は作品の欠点として後から消されるものではなく、キャラクターのアイデンティティそのものだからだ。
また、「明るい日常だけを楽しみたい」という人にも完全には向かない。
第3巻では千夜とダラさんの20数年に及ぶ絆や生前の出来事。
第4巻では非業の死と祟り神になった背景。
第5巻では過去の因縁。
第6巻ではハコちゃんへの怪異の取り憑き。
第8巻では、おろちの記憶を通じて穢れと祟りに満ちた忌み地の歴史へ踏み込む。
原作の公式紹介を時系列で追うだけでも、シリーズが日常コメディ一本へ向かったのではなく、日常と怪異の両方を深くしてきたことが分かる。
2026年6月23日にKADOKAWAから発売された第8巻は200ページで、2026年10月時点では単行本最新刊にあたる。
一方、連載自体はその先へ進んでおり、カドコミでは2026年10月15日に第73話が公開されている。
ここは「単行本が8巻で終わった」と誤解しやすいので区別しておきたい。
単行本は第8巻まで刊行済みだが、連載は継続中という状態だ。
ファンマーケティングの視点から見ても、本作のキャラクター設計はかなり強いと思う。
一人のキャラクターに「怖い」「面白い」「優しい」「切ない」「頼もしい」「親しみやすい」という複数の感情への入口がある。
しかも、それぞれが独立していない。
怖い姿だから、子どもたちに振り回されると面白い。
祟り神としての格があるから、ツッコミ役になったときの落差が大きい。
悲しい過去があるから、現在の穏やかな日常が温かい。
異形のままだから、読者が親しみを持てるようになったこと自体に意味が生まれる。
恐怖を愛着へ変換する設計になっているんだ。
これはかなり面白い。
だから『令和のダラさん』を読む前に、「怖い作品が大丈夫か?」だけで考えなくてもいい。
「怖いものと笑えるものが同居している作品が好きか」で考えてみてほしい。
怪異の設定を真面目に作り込んでいるから怖い。
キャラクターの関係を真面目に積み重ねているから笑える。
過去を真面目に描くから切ない。
その三つがつながった結果、ダラさんという一人のキャラクターに強い愛着が生まれている。
僕はここが、この作品の一番忘れにくいところだと思っている。
まとめ|『令和のダラさん』はグロさより異形・祟りに注意
『令和のダラさん』は、流血や身体破壊を次々と見せることを目的にしたグロ作品ではない。
ただし、完全に怖くない作品でもない。
ダラさんは半人半蛇の身体と6本の腕を持つ祟り神。
物語には忌み地、祠、祟り、穢れ、怨霊、取り憑き、非業の死、過去の因縁などが登場する。
原作第1巻では、嵐の日の土砂崩れで柵が崩れ、長く立入禁止だった土地へ日向と薫が踏み込むところから始まる。
第3巻では母・千夜とダラさんの20数年に及ぶ絆と生前の出来事、第4巻では非業の死を遂げて祟り神となった背景、第5巻では過去の因縁、第6巻では怪異の取り憑き、第8巻ではおろちの記憶と忌み地の歴史へ世界が広がっていく。
一方で、日向と薫はダラさんを怖がらない。
その結果、恐怖を与えるはずの祟り神がツッコミ役になり、怪異と日常が同じ場所で共存し始める。
怖い。
でも笑える。
過去を知ると切ない。
そして、最初は怖かった異形の姿にいつの間にか親しみを感じる。
この「恐怖→笑い→切なさ→愛着」という感情の変化こそ、『令和のダラさん』の大きな魅力だと僕は考えている。
2026年にはTVアニメ化され、7月2日から9月24日まで全13話が放送された。
ダラさん役は田村睦心、三十木谷日向役は津田美波、三十木谷薫役は寺澤百花。
原作単行本は2026年10月時点で第8巻まで発売されており、カドコミでの連載はその先も続いている。
これから読む・視聴するなら、「グロいかどうか」だけで決めるより、自分は流血が苦手なのか、異形が苦手なのか、祟りや因習の空気が苦手なのか、それとも悲しい過去がつらいのかを基準にしたほうが判断しやすい。
少なくとも、残酷さそのものを楽しむ作品を想像しているなら『令和のダラさん』は少し違う。
怖さを消して笑わせる作品でもない。
ちゃんと怖い怪異だからこそ、ダラさんの日常がこんなにもおかしく、そして愛おしく見える。
そこが、この作品のいちばん面白いところだ。
なお、原作の刊行状況やTVアニメの配信サービスは今後変更される可能性がある。これから購入・視聴する場合は、KADOKAWAおよびTVアニメ公式の最新案内を確認してほしい。
よくある質問
『令和のダラさん』はかなりグロい漫画?
流血や身体破壊を連続して見せることが作品の中心ではない。ただし、半人半蛇・6本腕などの異形、死に関係する過去、怨霊、祟り、穢れなどは扱われるため、怪異の造形まで含めてグロいと感じる人は注意したほうがいい。
『令和のダラさん』はホラーが苦手でも読める?
ギャグやキャラクター同士の掛け合いが入ればホラーも楽しめる人には比較的入りやすい。一方、異形の身体、禁足地、祠、祟り、因習といった民俗ホラーそのものが苦手なら怖く感じる可能性がある。
アニメ版『令和のダラさん』も怖い?
アニメ版にも怪異とコメディの両面がある。声、動き、音響が加わることで恐怖の迫力が増す可能性がある一方、ダラさんと日向・薫のコミカルな掛け合いも伝わりやすくなるため、漫画とアニメのどちらを怖く感じるかは人によって変わる。
神崎悠真(かんざきゆうま)
アニメ批評家|脚本研究家|ファンマーケター



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