『乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です』第1期のED曲は安月名莉子「selfish」。“他人に決められた役ではなく、自分として生きる”という作品の核を映した主題歌だ。
アニメを見終えたあと、妙に耳へ残るエンディングだった――。
『乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です』、通称『モブせか』第1期を見た人なら、安月名莉子が歌う「selfish」の軽快なサウンドにそんな印象を持った人もいるんじゃないかな。
ただ、この曲を「明るくてキャッチーなアニソン」で終わらせるのは、かなりもったいない。
なぜなら「selfish」が掲げる周囲の価値観に染まらず、自分自身として生きることは、主人公リオン・フォウ・バルトファルトの生き方だけでなく、『モブせか』という作品そのものの構造ときれいに重なるからだ。
この記事では、第1期ED「selfish」の歌手・作詞・作曲・発売日といった基本情報から、歌詞の方向性、リオンたちとの関係、OPとの対比、そして2026年放送の第2期EDとの違いまで整理する。
歌詞そのものの転載ではなく、公式に示された楽曲コンセプトとアニメ本編を軸に、「なぜこのEDが『モブせか』に合っていたのか」をじっくり考えていこう。
『乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です』ED曲は何?
『乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です』第1期のエンディングテーマは、安月名莉子「selfish」だ。
第1期公式サイトの楽曲情報では、作詞をタナカ零、作曲・編曲を白戸佑輔が担当。CDシングルは2022年5月11日にKADOKAWAから発売された。
基本情報をまとめると、以下の通り。
- 曲名:selfish
- 歌:安月名莉子
- 作詞:タナカ零
- 作曲・編曲:白戸佑輔
- 発売日:2022年5月11日
- 品番:ZMCZ-15452
- 発売当時の価格:1,320円(税込)
- 発売・販売元:KADOKAWA
- 収録曲:「selfish」「はいてはすう」ほか各instrumentalを含む全4曲
- タイアップ:TVアニメ『乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です』第1期EDテーマ
公式では「selfish」は安月名莉子の8枚目のシングルとして紹介されている。
そして楽曲そのものについては、窮屈なルールや他人の意見に染まるのではなく、自分らしく生きていこうという方向性を持ったアップテンポナンバーとして説明されていた。
ここが、『モブせか』との関係を読み解くうえで最初の重要ポイントになる。
「selfish」という英単語だけを日本語にすると、「自分勝手」「利己的」「わがまま」といったネガティブなニュアンスを連想しやすい。
ところが、この曲が示す「自分」は、誰かを犠牲にして自分だけ得をしようという意味ではない。
むしろ、「他人の価値観だけで自分の人生を決めない」ことに重心が置かれている。
僕はここに、このタイトルの面白さがあると思っている。
『モブせか』もまた、ゲームや社会から「お前はこういう役割だ」と決めつけられた人々が、その役割から少しずつ逸脱していく物語だからだ。
「selfish」は2023年のアルバムにも収録
「selfish」はシングルだけで終わった楽曲ではない。
安月名莉子が2023年3月29日に発売した1stアルバム『BLUE MOON』にも、第10曲として収録されている。
同アルバムには『やがて君になる』OPテーマ「君にふれて」、『彼方のアストラ』EDテーマ「Glow at the Velocity of Light」、『慎重勇者〜この勇者が俺TUEEEくせに慎重すぎる〜』EDテーマ「be perfect, plz!」、『蜘蛛ですが、なにか?』OPテーマ「keep weaving your spider way」など、彼女が担当してきたアニメ関連曲が多数収められた。
その中に『モブせか』の「selfish」も並んでいるわけだ。
単独シングルとして探している人だけでなく、安月名莉子のアニソン活動をまとめて聴きたい人なら、『BLUE MOON』という選択肢もある。
なぜED「selfish」は『モブせか』に合っている?
「selfish」が『モブせか』に合う最大の理由は、この作品そのものが「決められた役割から外れていく物語」だからだと僕は考えている。
主人公はリオン・フォウ・バルトファルト。
前世では社会人だった彼は、剣と魔法が存在する乙女ゲームの世界へ転生する。
しかもリオンには、この世界について大きなアドバンテージがあった。
前世で妹に無理やり乙女ゲームを攻略させられた経験から、自分が転生した世界についてゲーム由来の知識を持っているのだ。
第1期公式サイトのイントロダクションでも、リオンはそのゲーム知識を武器として利用しながら、本来は田舎でモブとしてのんびり暮らすことを望んでいた人物として紹介されている。
ところが、物語は彼を「背景人物」のまま放っておかない。
オリヴィアやアンジェリカと関わり、王太子ユリウスをはじめとする攻略対象たちと衝突し、本人の希望とは反対に物語の中心へ近づいていく。
ここが『モブせか』の面白いところなんだ。
リオンは最初から「俺がこの世界の英雄になってやる」と燃えている人物ではない。
むしろ、できるだけ面倒を避けたい。
目立ちたくない。
平穏に生きたい。
なのに、納得できない理不尽を目の前にすると結局は行動してしまう。
「モブでいたいリオン」と「リオンを中心人物へ押し出していく物語」が、ずっと綱引きをしている。
脚本構造として見ると、この矛盾が『モブせか』特有のコメディと爽快感を生んでいる。
そして「selfish」の掲げる自分らしさも、この構造につながってくる。
世界から何者だと言われるか。
他人からどんな役割を期待されるか。
ゲーム上で何という属性を与えられているか。
それよりも、「自分自身はどうしたいのか」を選ぶ。
だから「selfish」は、リオンだけを説明するキャラクターソング的な存在というより、『モブせか』第1期全体に流れている価値観を感情へ翻訳したEDとして捉えると分かりやすい。
リオンは「モブ」という役割に従わない
そもそも「モブ」という言葉は面白い。
物語におけるモブとは、基本的に中心人物ではない。
背景にいる大勢の一人であり、主人公やヒロインのように物語を動かす役割を期待されていない存在だ。
ところがリオンは違う。
本人はモブとして生きようとするのに、その行動によってシナリオへ介入してしまう。
つまり『モブせか』では、キャラクターに付けられた「役名」と、その人物自身の人生が一致しなくなっていく。
このズレこそ重要なんだ。
ゲームから見ればリオンはモブかもしれない。
でもリオン本人からすれば、自分の人生を生きているのは自分しかいない。
この「システムから見た自分」と「自分から見た自分」の食い違いが、『モブせか』という作品の根底にある。
そこへ「self=自分」を強く意識させる「selfish」というEDタイトルが置かれている。
偶然の語感として片づけるより、作品を読み解くうえで非常に面白い対照だと思う。
ED「selfish」の歌詞テーマをどう読む?
「selfish」の歌詞を作品と重ねると見えてくるのは、完璧な自分になることではなく、不器用な自分のまま人生を選ぶことだ。
ここでは著作権のある歌詞そのものは掲載せず、内容の方向性だけを整理していく。
この楽曲では、人の視線を気にしてしまったり、自分を取り繕ったり、思い通りにならず傷ついたりする感覚が扱われている。
つまり、「自分らしくいよう」と言っても、最初から何の迷いもない強い人間を描いているわけではない。
迷う。
ぶつかる。
うまくいかない。
それでも他人の価値観だけに自分を明け渡さない。
公式が楽曲を紹介するときにも、「窮屈なルール」や他人の意見に染まらず自分らしく生きる、という方向性が明確に示されている。
だから「selfish」は、単純な「好き勝手に生きよう」という曲ではない。
周囲との関係を持ちながら、それでも自分まで失わないための歌と読むほうがしっくりくる。
このニュアンスが『モブせか』にはかなり重要だ。
なぜならリオンは、世界を無視して生きているわけではないから。
身分制度もある。
学園の人間関係もある。
家族との関係もある。
政治的な事情もある。
自分一人の感情だけではどうにもならない状況が何度も現れる。
それでも「だから全部従います」とならないのがリオンだ。
理不尽なものには悪態をつく。
納得できなければ反発する。
そして必要なら行動する。
この姿勢と「selfish」の方向性が重なる。
リオンは本当に「selfish」なのか?
さらに面白いのは、リオン自身が一見すると「selfish」という言葉のネガティブな意味にも当てはまりそうなことだ。
口が悪い。
皮肉も言う。
相手を容赦なく挑発することもある。
正統派の善人主人公とはかなり違う。
だから表面だけ見れば、「自分勝手な主人公」という評価も成立しそうに見える。
ところが、行動まで追うと印象が変わる。
もしリオンが本当に自分の利益だけを最優先する人間なら、ゲーム知識とルクシオンを利用し、危険や面倒事をできるだけ避けるほうが合理的だ。
それなのに、彼はそうしない。
文句を言いながら介入する。
悪態をつきながら助ける。
目立ちたくないと言いながら前へ出る。
ここには「発言」と「行動」の意図的なズレがある。
脚本でキャラクターを立たせるとき、セリフだけですべてを説明する必要はない。
むしろ「何を言ったか」と「実際に何をしたか」の差から、その人物の本音を観客に読み取らせる方法がある。
リオンはまさにこのタイプだ。
本人はヒーローらしく振る舞おうとしない。
だからこそ、行動に現れる優しさや義理堅さが強調される。
「selfish」も似ている。
タイトルだけなら利己的。
しかし曲が示す方向は、自分を見失わないこと。
表面上の言葉と、その奥にある本質が少し違う。
このねじれまで含めて、僕にはかなりリオンらしいEDに感じられる。
オリヴィアとアンジェリカにも重なる
そして「selfish」は、リオンだけの曲として考えるより面白い。
オリヴィアとアンジェリカにも、「他人から与えられた役割」と「自分自身の気持ち」の衝突があるからだ。
乙女ゲームという設定では、登場人物には最初から役割がある。
主人公。
攻略対象。
悪役令嬢。
そしてモブ。
ゲームなら、その役割に沿ってシナリオが進む。
ところが『モブせか』では、その予定調和が崩れていく。
本来の役割通りに動かない人物が現れ、関係性が変わり、ゲームとして想定されていた物語と現実の世界がズレていく。
だから『モブせか』を「ゲーム知識を利用して活躍する異世界転生もの」とだけ捉えると、少し取りこぼしてしまうものがある。
この作品にはずっと、「誰かに決められた自分」と「自分が選びたい自分」の衝突があるんだ。
その意味で「selfish」は、リオンだけではなく、オリヴィアやアンジェリカまで包み込める曲になっていると僕は考えている。
安月名莉子「selfish」の音楽とEDとしての魅力は?
「selfish」の魅力を考えるなら、歌詞の意味だけでなく、なぜこのテーマをアップテンポな楽曲として表現したのかにも注目したい。
作詞はタナカ零、作曲・編曲は白戸佑輔。
第1期公式サイトでは、「selfish」が白戸佑輔から安月名莉子への初の楽曲提供であることも紹介されている。
白戸佑輔は、ピアノやストリングスを生かしたキャッチーなメロディを手がけてきたクリエイターとして公式の楽曲紹介でも触れられていた。
「selfish」でも、重苦しく内側へ沈んでいくのではなく、前へ進んでいく感覚が強い。
これが重要なんだ。
『モブせか』第1期の世界は、設定だけ抜き出すと決して気楽ではない。
極端な男女の力関係があり、身分差があり、学園内の序列があり、恋愛だけでは済まない家や政治の事情まで絡んでくる。
主人公リオンも、この世界のルールに何度も振り回される。
それでも作品全体は、ずっと陰鬱なドラマとして進むわけではない。
リオンの皮肉。
容赦のない反撃。
キャラクター同士の掛け合い。
逆転するときの痛快さ。
重い設定を抱えながら、エンターテインメントとしてはかなり軽快に走っていく。
「selfish」も同じだ。
扱っているテーマは「社会や他人の価値観に自分を奪われない」という真面目なものなのに、聴感まで重くしない。
重いテーマを、軽やかな推進力へ変換する。
この設計が『モブせか』本編とよく似ている。
安月名莉子の歌声が「反抗」より「解放」に聞こえる
個人的に面白いと思うのは、「selfish」が攻撃的な反抗歌には聞こえないところだ。
『モブせか』には、世界の理不尽へ反発する要素がかなりある。
ならばEDをもっと激しく、怒りの強い曲にする選択も考えられたはずだ。
でも「selfish」はそこへ行かない。
誰かを倒すことより、自分が自由になる方向へ感情を運んでいく。
ここには「反逆」と「解放」の違いがある。
反逆だけを強調すると、物語の焦点は「敵」に向く。
しかし解放を強調すると、焦点は「自分」に戻ってくる。
誰が悪いかだけではなく、自分はどう生きたいのか。
僕には「selfish」が後者へ視聴者を連れていく曲に聞こえる。
そして、それこそエンディングテーマに置く意味がある。
本編で世界との衝突を見せ、EDではキャラクター自身の心へ戻る。
一話を見終えた視聴者の感情を着地させる場所として、とても機能的なんだ。
『モブせか』OPとEDを比べると何が見える?
『モブせか』第1期の音楽をもう少し立体的に見るなら、ED「selfish」だけでなくOPとの対比も面白い。
第1期OPテーマは、伊東歌詞太郎「サイレントマイノリティー」。
シングルは2022年4月27日に発売され、作詞・作曲を伊東歌詞太郎、編曲をakkinが担当している。
一方、EDは安月名莉子「selfish」。
僕なりにこの二曲の役割を短く言葉にするなら、OPが「世界の中でどう立つか」、EDが「自分自身をどう保つか」という対比になる。
もちろん、これは公式がそう定義しているという意味ではなく、アニメ本編と二曲を合わせて見たうえでの筆者としての解釈だ。
ただ、この二方向からリオンを見ると、かなり分かりやすい。
リオンが戦っているものは一つではない。
外側には、理不尽な社会やゲーム由来のシナリオがある。
内側には、「モブでいたい」「面倒なことには関わりたくない」という本人の希望と、それでも見過ごせない感情がある。
外の世界にどう抵抗するのか。
その中で自分をどう失わないのか。
この二つが同時に走っている。
だから僕は、第1期のOPとEDを単なる「放送の最初と最後に流れる二曲」としてではなく、リオンの生き方を外側と内側から挟んだ二つのテーマ曲として聴くと面白いと思っている。
EDだから「selfish」が効く
そして「selfish」は、OPよりEDに置かれることで意味が強くなる曲だと思う。
物語を見る前に「自分らしく生きよう」と提示されても、その「自分」がまだ見えていない。
ところが一話分の物語を見たあとなら違う。
リオンが理不尽に振り回される。
オリヴィアが悩む。
アンジェリカが傷つく。
それぞれが「自分はどうするのか」という選択に直面する。
そのあとに「selfish」が流れる。
すると、音楽単体では抽象的だった「自分らしく」という方向性に、具体的なキャラクターの顔が重なってくる。
アニメが楽曲の意味を増やし、楽曲がアニメの余韻を整理する。
これがアニメタイアップ曲の醍醐味の一つだ。
「selfish」は、本編の出来事を説明し直す曲ではない。
むしろ、本編で生まれた窮屈さを「それでも自分で選ぼう」という感情へ変換して、視聴者を一話の外へ送り出す曲なんだと思う。
第2期EDは「selfish」ではない?2026年版との違い
2026年現在、「モブせか ED」と検索するなら、ここは特に区別しておきたい。
安月名莉子「selfish」は2022年放送の第1期EDテーマで、第2期のEDテーマは別の楽曲だ。
TVアニメ『乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です2』は2026年7月8日からAT-X、TOKYO MXなどで放送を開始した。
第2期公式サイトが2026年6月17日に発表した主題歌情報では、OPとEDは次の組み合わせになっている。
第2期OPは、タケヤキ翔、廣瀬大介、ANCHORによる3人組音楽ユニット・Andoの「人生エンドロール」。
作詞・作曲・編曲はANCHORが担当している。
そして第2期EDは、グループ名が「名称非公開」の「あしたはあしたのけせらせら!」だ。
ここは少し紛らわしい。
「アーティスト名がまだ発表されていない」という意味で名称が非公開なのではなく、公式サイトでもアーティスト名として名称非公開と記載されている。
2026年6月17日の主題歌発表では、名称非公開についてSNS総フォロワー数120万人超のグループとも紹介された。
OP「人生エンドロール」とED「あしたはあしたのけせらせら!」は、いずれも第1話放送後となる2026年7月9日0時からデジタルリリースされた。
したがって、『モブせか』のEDを整理すると、
第1期(2022年)ED:安月名莉子「selfish」
第2期(2026年)ED:名称非公開「あしたはあしたのけせらせら!」
となる。
検索では第1期と第2期のページが同時に出てくる可能性があるため、「selfishを探していたのに別の曲が出てきた」という人は放送シーズンを確認すると分かりやすい。
第1期と第2期のEDタイトルを並べると面白い
ここからは僕の解釈になるけれど、第1期と第2期のEDタイトルを並べるだけでも興味深い。
第1期は「selfish」。
第2期は「あしたはあしたのけせらせら!」。
もちろん制作意図まで同一だと断定することはできないし、それぞれ独立した楽曲として扱うべきだ。
それでも言葉の印象としては、どちらも「周囲の決めた正解に自分を完全には預けない」という方向を感じさせる。
第1期のリオンには、まず「自分」を持つことが重要だった。
モブだから。
男だから。
貴族だから。
ゲームの世界だから。
そうした外部から与えられる条件に対して、「それでも俺は俺だ」と踏みとどまる。
一方、第2期タイトルの「あしたはあしたのけせらせら!」には、未来をすべて制御しようとせず、もう少し肩の力を抜いて進んでいく響きがある。
自分を選ぶ「selfish」から、先の読めない人生を受け入れて進む「けせらせら」へ。
あくまでタイトルと作品の流れを重ねた僕なりの読み方だけれど、シリーズを続けて見ている人なら、主題歌の変化をキャラクターたちの成長と重ねてみるのも面白いと思う。
「selfish」が『モブせか』EDとして優れている理由を考察
ここからは、脚本構造という視点からもう一歩踏み込んでみたい。
僕が「selfish」を『モブせか』第1期に合ったEDだと考える最大の理由は、作品タイトルに対して、楽曲が別方向から答えを返しているように見えることだ。
『乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です』。
タイトルの主語に注目すると、「世界」が前面に出ている。
世界がモブに厳しい。
世界には理不尽なルールがある。
世界から不利な立場を押し付けられる。
つまり問題の起点は外側にある。
一方、「selfish」が意識させるのは「self=自分」だ。
世界がどうなっているかではなく、その世界で自分はどう生きるのかへ視点が移る。
ここがすごく面白い。
世界そのものを一瞬で変えることはできなくても、自分の選択まで世界へ明け渡す必要はない。
ゲームにシナリオが存在しても、そのシナリオだけが人生ではない。
「モブ」という分類を与えられても、背景でじっとしている義務はない。
『モブせか』の爽快感は、リオンが強いことだけから生まれているわけではないと僕は思う。
もっと根本には、「お前はこの役だからこう生きろ」と迫ってくる世界へ、リオンが完全には従わない気持ちよさがある。
だから「selfish」も、単なる「わがまま肯定ソング」ではなく、他人が作ったシナリオに自分の人生まで乗っ取らせないための曲として聴くと、『モブせか』との結びつきが一段深く見えてくる。
「モブ」と「self」は正反対の概念でもある
ここで僕が特に面白いと感じるのが、「モブ」と「self」という二つの言葉の関係だ。
モブとは群衆だ。
一人ひとりの個性よりも、「その他大勢」としてまとめて認識される存在を意味する。
対してselfは「自分」。
極端に言えば、モブが個人を背景へ溶かす言葉なら、selfは個人を背景から取り出す言葉なんだ。
作品タイトルでは「モブ」。
EDタイトルでは「self」。
この対比が、そのままリオンという主人公の構造になっている。
ゲームシステムから見れば、彼は主要人物ではない。
けれどリオン本人には人生がある。
嫌なものがある。
欲しいものがある。
守りたいものがある。
腹が立つこともある。
「モブ」というラベルは、あくまでゲーム側から見た分類でしかない。
リオン自身の視点へカメラを移した瞬間、彼は「その他大勢」ではなくなる。
これは異世界転生ものとしても興味深い。
主人公が「実は選ばれし存在だった」と判明することで特別になる物語とは少し違う。
『モブせか』が持っている面白さの一つは、「背景人物と呼ばれている人間にも、その人自身の人生がある」という当たり前の事実を、ゲーム世界という仕組みを使ってひっくり返して見せるところにある。
「selfish」はその感覚を、説明ではなく音楽で視聴者へ残してくれる。
これが僕の考える、このEDならではの価値だ。
リオンは「物語の主人公」になりたいのではない
もう一つ重要なのは、リオンが「モブをやめて主人公になりたい」と願っているわけではないこと。
ここを取り違えると、『モブせか』の面白さも「selfish」との関係も少し単純になってしまう。
リオンが欲しいのは、スポットライトそのものではない。
自分の人生を、自分が納得できる形で生きることだ。
だからこそ「モブから主人公へ」という単純な出世物語ではなく、「物語上の役割」と「一人の人間としての主体性」を切り離す話として読むことができる。
主人公にならなくてもいい。
特別扱いされなくてもいい。
でも、自分で選ぶ権利まで失う必要はない。
「selfish」が肯定している自分らしさも、僕にはこのラインに見える。
これは「誰より目立て」というメッセージではない。
「誰かになるために、自分を捨てなくていい」というメッセージなんだ。
EDはリオンから視聴者へ橋を架ける
そして、この構造はアニメの中だけでは終わらない。
現実には「主人公」「攻略対象」「悪役令嬢」「モブ」といった明確なゲーム属性は存在しない。
それでも、人間関係の中で自分を「脇役みたいだ」と感じる瞬間はある。
目立つ人がいる。
評価される人がいる。
何でもうまく進んでいるように見える人がいる。
その隣で、自分だけが背景にいるように感じることもあるだろう。
だから「モブ」という言葉には、フィクションを越えて妙な実感がある。
でも『モブせか』は、その言葉をひっくり返す。
他人の視点では背景でも、自分の人生を生きられるのは自分しかいない。
だからこそ「selfish」という言葉も、ここでは少し優しく響く。
少しくらい自分の気持ちを優先していい。
誰かが用意した正解から外れてもいい。
予定していたルートと違う場所へ進んでもいい。
もちろん、現実で他人への配慮や責任を捨てていいという話ではない。
無制限な自己中心性を肯定することと、自分の意思を持つことは別物だ。
むしろ「selfish」の面白さは、他人と生きながら、それでも自分自身まで消してしまわないというところにあると僕は感じている。
明るいEDだから『モブせか』の反逆が重くなりすぎない
もう一つ、アニメ演出として見逃せないのが曲の明るさだ。
『モブせか』は、構造だけを言語化するとかなり反抗的な物語だ。
リオンは既存の価値観に反発する。
ゲームの予定調和を壊す。
攻略対象たちとも真正面から衝突する。
社会のルールに「はい、分かりました」と従う主人公ではない。
それでも作品そのものは、重苦しい社会ドラマにならない。
毒のある笑いがあり、皮肉があり、痛快な逆転がある。
このバランスをEDでも維持しているのが「selfish」だと思う。
テーマを文章だけで説明すると、「社会から与えられた役割と自己決定の衝突」というかなり硬い話になる。
でも音楽になれば、もっと直感的だ。
自分で行こう。
自分で選ぼう。
そんな感情だけを軽やかに持ち帰れる。
アニメのEDとして、これは非常に大きい。
作品側が「この話のテーマは自己決定です」とキャラクターに説明させたら野暮になってしまう。
音楽なら説明せずに伝えられる。
物語で理解し、EDで感じる。
「selfish」は、この役割分担がきれいに成立した一曲なんじゃないかな。
『モブせか』ED「selfish」は“モブでも自分を失わない”ための歌
『乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です』第1期のEDテーマは、安月名莉子「selfish」。
作詞はタナカ零、作曲・編曲は白戸佑輔で、2022年5月11日に8枚目のシングルとして発売された。2023年3月29日発売の1stアルバム『BLUE MOON』にも収録されている。
公式が示した楽曲の方向性は、窮屈なルールや他人の意見に染まるのではなく、自分らしく生きていくこと。
そのメッセージは、モブとして静かに暮らすはずだったリオンがゲームの予定調和から外れ、オリヴィアやアンジェリカたちと関わりながら自分自身の選択を重ねていく『モブせか』の物語とよく噛み合っている。
特に僕が面白いと思うのは、「モブ」と「self」の対比だ。
ゲームから見れば、リオンはその他大勢だった。
でもリオンから見れば、リオンの人生は一つしかない。
「モブ」という外側から貼られたラベルと、「self=自分」という内側の視点。
その二つを同時に置くことで、『モブせか』は単なる「背景キャラが成り上がる物語」から、「自分の人生の役割を誰に決めさせるのか」という物語としても見えてくる。
そして2026年放送の第2期では、EDテーマは名称非公開「あしたはあしたのけせらせら!」へ変更された。
そのため現在「モブせか ED」と検索する場合は、2022年の第1期「selfish」と、2026年の第2期「あしたはあしたのけせらせら!」を区別しておくと迷いにくい。
世界からモブと呼ばれても、自分まで自分をモブ扱いする必要はない。
目立つことが大切なのではなく、自分で選ぶことが大切なのだ。
タイトルでは「モブ」を掲げた作品が、エンディングでは「self」を歌う。
僕はこの鮮やかな対比こそ、安月名莉子「selfish」が『乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です』第1期の余韻として、今あらためて聴いても面白い理由だと考えている。
よくある質問
『乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です』第1期のED曲は?
第1期のエンディングテーマは、安月名莉子「selfish」。作詞はタナカ零、作曲・編曲は白戸佑輔で、CDシングルは2022年5月11日に発売された。
「selfish」はどんな意味の曲?
英単語の「selfish」には「自分勝手」「利己的」といった意味があるが、公式の楽曲紹介では、窮屈なルールや他人の意見に染まらず自分らしく生きる方向性を持ったアップテンポナンバーとされている。『モブせか』の「決められた役割から外れ、自分で選択する」という物語とも重ねて楽しめる。
『モブせか』第2期のEDも「selfish」?
違う。2022年の第1期EDは安月名莉子「selfish」だが、2026年の第2期EDは名称非公開「あしたはあしたのけせらせら!」。第2期OPはAndo「人生エンドロール」で、両曲とも2026年7月9日0時からデジタル配信された。
アニメ批評家|脚本研究家|ファンマーケター
神崎悠真



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